何でも屋ヒラ部長のNo Surf,No Life~人生に役立つサーフカルチャー~

会社では何でも屋のヒラ部長が雑用に終われる中、暇を見つけてブログを書きます

家入一真 「こんな僕でも社長になれた」

家入一真さんの本「こんな僕でも社長になれた」を僕のメンターから紹介された。家入一真さんと言えば、CANPFIREの創始者で知っていましたが、それまでの経歴は全く知りませんでした。この本は、家入一真さんの今に至るまでの人生を書いたもので、とても勇気を与えられる本でした。


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第一章 貧乏な家に生まれて

第一章 貧乏な家に生まれて

福岡県宗像市、1978年12月28日に産まれる。父は運送業を営み、母は化粧品の訪問販売をしていた。三才下の妹と六才下の弟の三人兄妹。家は八畳の居間と六畳の子供部屋、洗面所兼台所、脱衣所のない風呂、汲み取り式のトイレ、、、。貧乏だけど、そこにはいつも家入少年の笑顔があり、家族の幸せがたくさん詰まっていた。

第二章 「ひきこもり」だったあの頃

そんな家入少年、中二の時に友達との「ちん毛」事件で絶交に。おまけにクラスメイトからもシカト状態。たくさんいたはずの友達がひとりも居なくなってしまった。毎日、人の居ない図書室へ逃げ込む日々。家族にも話せない苦悩。いつの間にか、自然に笑うことも出来なくなっていた。そのまま高校へ進学。心機一転と画策するが、友達を作れず、入学して間もなく「登校拒否児」になる。風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休み。そんな逃げまくりの生活だったが、結局、単位が足らず留年、そのまま途中退学の道へ。

学校を辞めて、特に出歩くこともない完全なひきこもり状態の家入少年の心のよりどころは父が買ってくれた中古のパソコンだった。パソコンはマニュアルがあり法則があり、友達や学校という複雑で答えのないものより、はるかに楽しいものと思え、それに没頭するようになった。このことが後に大きな影響を及ぼすことになる。

第三章 長いトンネル

その後、変わらず親のスネをかじる生活をしていたが、さすがに申し訳ない気持ちからアルバイトにつく。アルバイトをしながら大検を取るための勉強をし、晴れて大検に合格する。さあ、どこの大学へ行こうかと思案中にふと新聞広告が目に留まる。「住み込み新聞配達員、新聞奨学生募集」。家入少年は東京藝大を目指し、予備校へ通いながら新聞配達をすることになる。 しかし、ここでもやってしまう。大学受験を控えるもセンター試験の願書をうっかり提出しそびれてしまう。そして二浪目に突入。二浪目になると、予備校も休みがちになるが、何とか受験当日を迎える。ところが、ここでも更にやってしまう。受験当日、目が覚めると11時、、、。試験を受けることなく、終わってしまう。

そんなある日、父から携帯に連絡がある。ところが、そんな状況から電話に出なかった。その日の深夜、また携帯が鳴る。父がトラックで大事故を起こしたのだ。奇跡的に一命を取り留めたが、ここから家族の崩壊が始まる。

第四章 起業前夜

一命を取り留めた父であったが、事故がきっかけで多額の借金があることがわかる。それからというものの、母は今までしていた化粧品販売の仕事に加えて、新たに近くのスナックで夜も働くことになる。家庭は荒れに荒れ、結局、父は自己破産をしたのち、両親は離婚を決意した。

その当時、家入は新聞折り込み広告に関わる小さなデザイン会社に就職していた。地味な仕事ながらも、少しずつ慣れていったある日、新聞配達時代の仲間からホームページのデザインを任されることになった。このサイト作りに家入は没頭、そんな日を過ごしていたが、ささいなことがきっかけで上司と激しく衝突し、「やめます」と置手紙を残し、会社から逃亡してしまう。

そんな家入だが、唯一の心の支えとなっていた女性の存在があった。のちに結婚をする「アキコ」だ。家入は彼女と何度もメールのやり取りをしながら、それまで一度も感じたことのなかった、気持ちの高まりを感じていた。やがて二人は恋愛に発展、同棲生活を開始、間もなく入籍した。入籍して二ヶ月後、アキコの妊娠が判明した。家入21才、アキコ19才だった。「僕に奥さんができて、子供が生まれる、新しい家族ができる」、そう考えたとき、お金がなくたって何とかなる、家入にはそんな風に考えられなかった。そして、考えた末、ある決断をした。

第五章 ペパボ黎明期

10月下旬、勤めている会社を辞め、レンタルサーバーの会社を立ち上げることをアキコに伝えた。子供の誕生の瞬間、過ぎてゆく一日一日を一番近くで見ていたい。そのためにも、今やるしかない。そんな思いをアキコへ伝えた。一通り話を聞くとアキコは言った。「わかった。じゃあ、頑張ろう」

アキコと考えた末に決めた社名は「マダメ企画」、そして、ナウでヤングなレンタルサーバー、ロリポップ!がここに誕生した。

lolipop.jp

2001年11月、ロリポップ!は満を辞してオープンした。ターゲットとしている若い女性の集まりそうなサイトに広告掲載を依頼していた。そしてもうひとつ、女性に特化し初期設定料三千円を千五百円に割り引くことにしていた。そんな中で動き出したナウでヤングなレンタルサーバー、ロリポップ!。家入の目論見は的中し、最初の月から利益を出すことが出来たのだった。

ロリポップ!は好調、家入は父となり、またマダメ企画も社員がひとり、またひとりと増えていった。トラブルもあったが着々と売上をあげていったマダメ企画、2003年「paperboy&co.」に社名を変更、paperboyは新聞配達員、家入の原点、いつでもあのときの初心に帰れるように、そんなことを考えて命名した。

やがてロリポップ!はユーザー数が業界最多になる。そんな最中、取引していた法人向けレンタルサーバー会社から倒産、半月後に全サーバーを停止させるという最悪の事態を迎えた。それでも仲間たちと一貫となってサーバーの切り替えを行い、難を逃れたのだった。一緒に戦える仲間がいる、乗り越えて労い合える仲間がいる。このことが家入はたまらなく嬉しかった。

第六章 成功、そして未来へ

新たなサービスの提供も好調なペパポ、突然、M&Aの話が舞い込んでくる。それが今日のGMOである。GMO社長の熊谷に会った家入、紳士的で、穏やか、信用できる人のように感じたが、何を信じてよいのか途方に暮れていた。そこに、今度はlivedoor社長の堀江から会食の招待が。そこでも子会社にならないかと提案を受けた。更に、同時期に他社から数千万の出資をしたいとの打診があったのだ。悩みに悩んだあげく出した結論はGMO社との資本提携。ペパポにとって、会社を大きくするよりも、より安定したサービスを運営して、ユーザーを満足させられること、そしてその結果、自身を含めた社員全員が生活に困らないこと、これが出きるのはGMOの提案をだった。

そして、現在、、、

家入の末筆にこうある。

世の中は広い。地球は、途方もなく大きい。どんな人にだって、どこかにきっと、何も恐れることなく、ハッピーに暮らせる場所があるはずだ。前に進まなくたって、逃げたって、生きてさえいれば、きっといつか、そんな場所にたどり着く。逃げることは、決して悪いことじゃない。